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Quadra Eva

エヴァQ信者

シン・ゴジラ初日 レビューか考察 ネタバレあり

 

・邦画最高峰という評価は本当

 自分の中ではパシリムやギャレゴジより格段に面白い。政治性があるのはもちろん、アクションだけで見ても。何より昼間の戦闘が多いのが見やすくて幸せ。

 

※以下全部ネタバレ

 

・上陸形態

 最初は敵怪獣かな、と。徐々に園子温監督のミドリガメを思い出す。怒涛のコレジャナイ感に圧倒される。アップでは魚の死んだような目。両生類をイメージしたとのこと。深海魚のようとも。

 順当に進化していくなら、人類化する予兆がラストの尻尾のアレか。単体の完全生物をやめて群体の知的生物になってしまったら、続編は怪獣映画として成立しづらい。

 

・巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)というネーミング

 主人公達のチーム、こういう名称だったんだとパンフを見て初めてわかる。「キョサイタイ」のようなよくわからない音の部署と思って観ていた。しかしNSAとかCIAのような勢いの略称が日本語でもできるんだな、と。

 

 

シュプレヒコールの両義性

 どうも、劇中のシュプレヒコールが、聞く人の思想によって「殺せ or 倒せ」か、「守れ」に分かれるような感じ。

 わざと聞こえにくく、曖昧にしてある微妙な音量とノイズ。(not)のように両義性を持たせて議論を狙っているかも。

 

 ヘイトになるか、愛護団体的になるか。生物にヘイトはおかしいですが。

 自分は「せ」の音が聞き取れたので、「殺せ」だと思いました。恐慌と憎しみの熱狂に見えましたけど。「守れ」と聞こえた人がいるのにびっくり。

 あるいは、対抗する二つの勢力が交互に、「殺せ」「守れ」と言っていたのかもしれません。ということは、主人公たちが二値的ではない案を取る前フリと言えます。

 

・巨災対とシュプレヒコール

 演出の文脈的には、シュプレヒコールは、矢口プラン=凍結作戦の、反対であるべきです。疲労している巨災対にとって、エールになっている様子がない描写があるのは敵対的な意見だからです。(急かしているから否定でなくても不快という見方、何を言われてもスルーしているだけという見方もある)

 では、凍結作戦の反対意見とは、殺せなのか守れなのか。凍結はゴジラの殺処分を意味するのか。

 これは消極的な推測になりますが、矢口(長谷川博己)は現実的な赤坂(竹野内豊)とは違い、少し夢想的だとインタビューで言われています。矢口は一度も、ゴジラについて「倒そう」「倒せる」とは言ってないような気がします。たぶん。赤坂を含む他の人たちが、「生物ならば倒せる」と繰り返し発言している。

 何よりも、核という殺処分の極致と対置されているのが凍結作戦なら、チームの目的が「殺せ」ではないのは当然です。

 ただ重要なのは、巨災対の科学者達は、ゴジラに感情移入する気がさらさら無いことです。ただ歩いている生物の心情を推し量っても意味がない。だから、「守れ」という相手視点に立つことも不可能です。しかし生命のある生物とは思っていて、なんとか殺さずにどっか行ってもらいたいなーという距離感だけがあります。

 ここは後述するテーマに関わってきます。

 

・それでも矢口というキャラは二値的

 矢口は「敵と味方がはっきりしている」政界が性に合っていると言いながら、「敵だから殺す」に短絡しないのはなぜでしょうか。政界の事情であって、シュミットを連想するのは不適切かもしれませんが。

 実は矢口は二値的で、ゼロサムです。アスペだから、上下関係も気にせずどんどんしゃべります。人間関係に興味がないのは有能の条件です。若い女性生物学者・尾頭もです。矢口は政治というゲームの規則だけに興味があります。しかし赤坂のほうが柔軟に、そのゲームの背後にある人間同士の事情を考えることができ、出世してしまいます。

 何が言いたいかというと、矢口は二値的であるが故に、下手をすると一気にゴジラの「味方」に振れてしまう危険性があるのです。しかし、そういう「敵」「味方」の感情を政治というゲームに落とし込んでしまっているので、ゴジラに憎しみを全然持っていません。ただすごい生物だなと思っています。

 

 あと、矢口が最初に動画を見ただけでいきなり「巨大生物だ」と言い出したのは、動画の加工くらい見分ける目があるのでしょう。なぜか、庵野監督自身のように。

 

・矢口プランとか、ヤシオリ作戦とか

 ヤシマ作戦というより、それら全部が「海外SF作家が適当に考えた日本人名」を意識してるような気がする。ヤカモト、ヤシモト、ヤガイ……

 ヤシオリはヤマタノオロチを酔わせた酒の名前らしい。建屋冷却と神話のネーミングが合わせてあって、派手なシーンではないが情報量が多い。倒し方が地味と言われるがテーマ的にこうなるしかない。

 

・牧教授とは

 動機がゲンドウ。教授は調査を依頼されただけなので、彼がゴジラを作ったというわけではない。危険性を知っていながら放置したことが、彼の言う「好きにした」の意味か?何らかの魔改造や餌の投与をする能力は教授に無いと思う。でも船の位置と出現ポイントには関係あるよう。

 人類なんか滅んだほうが地球キレイみたいな言い分は、庵野から見た宮崎駿に近い。でももう少し人類任せにしてある。

 

・「わたしは好きにした。君らも好きにしろ」

 これが数回繰り返されるので、作品のメッセージと言っていいだろう。

 テッド・チャンの地獄とは神の不在なりにおける堕天使の台詞を思い出した。なおSF小説であって、チャンは無宗教。

 「みずから決めるがいい。それがわれわれのおこなっていることだ。おまえたちもおなじようにするがいい」

 この自己決定は信仰と対置されている。シン・ゴジラに信仰などほとんど出てこないが、他者の意思による決定については描かれている。

 アメリカや国連の意思に任せるのではなく、自分で考えて決めること。直接的には、日本にこれを推奨するのが表のテーマだ。

 しかし、もっと抽象的には、前述したゴジラへの感情移入をやめたことも大きい。ゴジラの意思に地球を任せる、みたいな展開を庵野監督は否定している。直接は言われていないが、ゴジラを積極的に「守り神」として扱うことを拒否している。そもそも<呉爾羅>は単なる荒ぶる神であって、救いの神ではない。

 神へ意思決定を任せることと、救いを期待することをやめること。なぜなら、神ですら、彼の好きにやっているからだ。なおトップをねらえ2には「あなたの人生の物語」というタイトルの回があるので庵野テッド・チャンを知っているはず。読んでないのに引用する人なのでわからないが。

 メタ的には、人類のために戦ってくれるギャレゴジや平成ゴジラを否定している。そういう意味ではエメリッヒのゴジラのほうがまだ初代に近いと思う。外見のせいで酷評されすぎている。生物だからミサイルで死ぬ。潔い。

 ギャレゴジなどは、子供の乗ったバスを(偶然)守ってくれるのが初代的でない。そんな擬人化は、たとえ偶然を装っていても要らない。ゴジラは神であっても、人間に興味がない種類の神だから。

 でも赤坂(竹野内豊)が「自然現象じゃなくて生物だから倒せる」と言ってた。これは逆に言えば自然現象は倒せないという意味。ゴジラは極めて自然現象寄りだが、まあ生物。

 

 殺せでも守れでもなく敵でも味方でもないのが「好きにしろ」なんだろうか。

 別に悪意もなく好きにしてるだけなのに悪意を読み込まれたりする。世界から味方扱いされないとやっていけないと核攻撃を容認したときの赤坂が言う。逆に相手に悪意があるかどうかをガン無視したら敵味方の二元論から抜けて好きにしろ状態になるんじゃないか。

 

・尻尾は別物

 パンフによると顔的器官で自己分裂の起点。尻尾が別の生物のように動くのは実際に別の脳があったのか。

 

・英語台詞

 みんな発音上手いと思うけどなんであんな多用するんだろう。

 

プロトンビーム

 巨神兵も初号機もゴジラも、みんなプロトンビーム(紫色)を使うようになった。ちなみにヴンダーも、初号機から直結してるので主砲が紫色。

 

宮崎駿との違い

 庵野は科学技術を肯定しまくるリベラルだと思うんだけど。海外SFでは普通。

 

・シンって何

 ツイッターでshin表記だったので罪ではないんじゃないかな。シンエヴァのほうはsinなので罪。

 

・最後の尻尾

 巨神兵の子供がそのまま逃げだすんじゃなく、日本と米国で管理されて、実験されて、兵器転用されて、巨神兵になるんでしょ。それでナウシカに無難に繋がる。首相になった赤坂に立ち向かう矢口。次回はゴジラvs巨神兵