Quadra Eva

エヴァQ信者

<EOE>ラストシーンの謎への解答

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なぜシンジはアスカの首を絞めたのか。

この、エヴァ旧劇場版ラストの大きな疑問に対して、納得できる理由を与えているサイトを今まで見たことがありません。
よく目にする、「受け入れてくれないから殺そうとしたとか、他人の恐怖の再開」等の理由では、中盤=一度目の首絞めは説明できても、ラスト=二度目の首絞めについては説明できません。
どの説でも、ラストの理由については疑問を残したまま、中盤の首絞めの理由を流用することで無理やり終わっている解釈が多いような気がします。

私はその場面だけを見るのではなく、作品内外に手がかりを求めることで、納得のいく解答を提示できると思います。

まず結論から言うと、
「シンジは自分自身を故意に、最大限に傷つける方法として首絞めを選んだ」
ということです。
これは良く言えば贖罪、悪く言えばリストカットなどの自傷行為の倒錯した一形態に過ぎません。

この解釈は主に、二つの公式ソースを根拠としています。

・Everything You've Ever Dreamedの庵野原詩

・旧劇場版内でのミサトの台詞

まず

・Everything You've Ever Dreamedの庵野原詩

から見ていきます

 

 Everything you've ever dreamed

あの子に何をした?(コーラス)
あの子に何をしたかった?(コーラス)
あの子にキスをしたかった。
でも、つけたのはキズ。
僕の心は、キズついた。

でも、
あの子の心にも、キズをつけた。
もっと大きなキズをつけた。
優しさが、あの子に傷をつけた。
傷つけて、悲しかった?(コーラス)
傷つけて、苦しかった?(コーラス)

ちがう。
傷つけて、うれしかった。
傷つけて、たのしかった。
だから、あの子は僕を許さない。
僕も僕を許さない。
心の痛みを知ったから。
だったら、何故、生きてるの?(コーラス)
死ねばいいのに。

死ね。死ね。死ね。死ね。(コーラス)

何故まだ、生きてるの?
僕はまだ、生きているから。
ただ、あの子には会えない。
会いたいけど、会わない。
会うだけの力が、僕にはない。
傷つけた僕は、もっと傷つかなくては、許せない。
これは僕のバツ。

死は、償いにはならない。
償いのために、生きている。
生きているのは、かまわない。(コーラス)
勝手に、生きていくのは、かまわない。(コーラス)
でも、どう償うつもりなの?

...わからない。

(日本語原詞:庵野秀明)

シンジとおもわれる部分を青に、レイの問いかけと思われる部分をにしました

 

甘き死よ、来たれ(Komm, süsser Tod)


不安なの。
不安なの。
みんなに嫌われるのが、怖い。
自分が傷つくのが、怖い。
でも、ヒトを傷つけるのが、もっと怖い。
でも、傷つけてしまう。
好きなヒトを傷つけてしまう。
だから、ヒトを好きにならない。
だから、自分を傷つけるの。

嫌いだから。
だいっキライだから。

好きになっては、いけないの。
だから、自分を傷つける。

優しさはとても残酷
心を委ねたら、私は壊れてしまう
心が触れ合えば、あの人は傷つく

だから、私は壊れるしかない
無へと還るしかない

無へと還ろう
無へと還ろう
それは、優しさに満ち満ちたところ
そこは、真実の痛みのないところ
心の揺らぎのないところ

無へと還ろう
無へと還ろう
他人のいない無へと還ろう
無へと還ろう
無へと還ろう
傷つく事のない無へと還ろう…(リピート)  

(日本語原詞:庵野秀明)

 

この二曲は、口調によって歌い手のキャラが判別できます。Everything You've Ever Dreamedは、レイの問いかけに答える形で独白するシンジ、Komm, süsser Todは全編アスカのみの口調で書かれています。だいっキライというのが特徴的で、この曲にはアスカ以外の語り手の存在は読み取れません。

Komm, süsser Todは劇中で、シンジの一回目の首絞めをきっかけに補完計画が始まって人々が溶けていくタイミングで流れる曲ですが、本来このシーンではEverything You've Ever Dreamedが使われずはずだったのに、盛り上がりに欠けるということで変更されただけです。つまり、本来アスカ用に書かれたいわば予備の曲が使われただけなので、シンジの心情を知るには没曲であるEverything You've Ever Dreamedのほうを読まなければならないのです。

Everything You've Ever Dreamedの歌詞の内容を要約するなら、キスをしたかった相手、つまりアスカを傷つけたことで、自分を許されないものとし、自分を責めることで殺意が自分と相手にも向かっていることがわかります。なぜ自分を許せないのに相手を殺そうとするのか、その決定的な理由になるのが

>傷つけた僕は、もっと傷つかなくては、許せない。

>これは僕のバツ。

>死は、償いにはならない。

この部分です。死ぬよりも厳しい罰を、自分に与えなければ、自分を到底許すことはできない。そういう強烈な自責の意識がシンジにはあるわけです。

では死ぬよりも辛い罰とは何か、その答えはミサトが作中前半で言ってくれています。

 

「自分が嫌いなのね。だから人も傷つける。自分が傷つくより人を傷つけた方が心が痛いことを知ってるから…
でも、どんな思いが待っていてもそれはあなたが自分一人で決めたことだわ。
価値のあることなのよシンジ君。あなた自身のことなのよ。ごまかさずに、自分の出来ることを考え、償いは自分でやりなさい」

>「自分が嫌いなのね。だから人も傷つける。自分が傷つくより人を傷つけた方が心が痛いことを知ってるから」
これは首絞めの動機を最も的確に、直接的に表現した一文です。

これは直前のシンジの台詞、「人を傷つけてまで、殺してまでエヴァに乗るなんて、そんな資格ないんだ。」に応じた返事なので、シンジが過去にエヴァで人を傷つけたことを指していると思われて、見過ごされてきたのかもしれません。
ですが、まるでシンジが故意に他人を傷つけたように言っている、このミサトの台詞には違和感を感じなかったでしょうか?

庵野監督は後半のシンジの首絞めの動機の手がかりとして、ミサトにこの台詞を言わせたのではないでしょうか。
作品を作る際、すでに出来上がった作品終盤について、作品前半に説明を挿入するという時系列の逆転も考えられます。

 

まとめ:他人を殺すのは最も効果的な自罰

嫌いな自分を罰するためにダメージを与えたいが、ただの自傷や自虐では十分に心が傷つかない。
また、単に大切な人が自分のせいで死んでも、麻痺した心には痛くない。(レイの死で涙を流せなかった)
自分自身の手を汚さないと、心の痛みとして罰を完遂できない。(カヲルを縊ったときの苦痛を再現したい)
自分の手で自分の大切な人(アスカ)の首を締めて殺す。これはシンジにとって最も苦痛で、それ故に最も甘美な自分への復讐となるのです。
シンジは自分に罪を規定しそれを罰することで安息を、末期では倒錯した快楽に近いものを得ていると推察されます。それが歌詞の「傷つけてたのしかった」の部分にあたります。

これはシンジが優しくないと痛みとして成立しないので、逆説的に最もシンジの優しさを表現したシーンになります。また、同様にアスカへの好意も証明しています。この観点から、どんなLAS同人よりEOEは痛切な、逆説的なLAS物だと思います。


「シンジがカヲル等の事で自分を罰するのはわかるけど、アスカに対して何の罪があるの?」
こういう疑問が出るとおもいます。

そのあたりはhttp://www003.upp.so-net.ne.jp/eva/evangelion/というサイト様で詳しく考察されていて、簡単には加持の死を雑に伝えたことでアスカを廃人状態に追い込むきっかけを作ったことだと思われます。補完時にはすでに量産機から助けられなかったという罪もあり、こちらのほうが大きいかもしれません。

 

Komm, süsser Todからはアスカの自死願望も読み取れるので、それも絡めると面白いことになりますが、長くなりすぎたので終わります。